こんにちは、26歳の安田ケリー(@kry_ysd)です。明日2020年5月31日に27歳になります。
26歳最後の日である今日、この記事を書く予定はまったくなかったし、なんなら今(昼過ぎ)から書き始めて26歳中に書き上がるのかもちょっと不安です。が、24歳から25歳になったときの記事を読み返していたら、歳が変わる瞬間のこのえもいわれぬ気持ちを書き残しておきたくなったので、筆を取りました。
また、ほんの数日前に決意を再確認せざるを得ない出来事があり、改めて自分と向き合うことができたので、それも踏まえて記録していきます。
この記事から丸2年。明日27歳になります。
「24年間探し求めてようやく見つけた“やりたいこと”は、そんな“最高の職場”にも難なく圧勝しました」
媒体は変わったけど(記事から動画になった)、このときの気持ちを忘れないでいたい。
24歳さようなら。25歳こんにちは。|Coolhttps://t.co/mhxdVG6bT2
— 安田ケリー👿 (@kry_ysd) May 30, 2020
26歳の1年間、何をしていたか
まず、26歳の1年間にあったことをざっくり振り返ります。
東京都某区のとあるアパートで26歳を迎えた日、当時のYouTuberの相方がケーキでお祝いしてくれました。チャンネル登録者獲得のために毎日がむしゃらに撮影と編集を繰り返していたときで、他のことを考える余裕もなくただ手を動かしていました。
6月にはブロガーやアフィリエイター、その他フリーランスの方々が集まるオフ会・ジャックナイト2ndに、YouTuberとして参加。様々なジャンルの方々と交流し、たくさんの刺激を受けました。ブロガー時代に参加してみたいと思ったオフ会だったこともあり、当時憧れていたブロガーやライターの方々にもお会いでき、とても感激したことを覚えています。(憧れのライター・ニシキドアヤトさんにご挨拶したらなぜか手書きの名札をひょいとくれました。今も部屋に飾っています。好きです。)
その後も元相方と一緒に試行錯誤しながらYouTube活動に専念していましたが、8月頃に活動を休止。視聴者の方々に理由の説明もできないまま、そのまま自然消滅の形でチャンネルに幕を閉じます(応援していてくださった方々には本当に申し訳ないです。ごめんなさい)。
YouTuberとしての活動が終わった後も、今後も映像に関する仕事をしていきたいと考えました。9月には実際にダンサー・P-DOさんのPVを制作し、お金を頂いたという意味で、私の映像クリエイターとしての一つ目の実績になります(先述した2人組YouTuberでの活動時は収益が発生していませんでした)。
このときはどこかの会社に就職するつもりもなく、フリーのクリエイターとして活動していきたいという気持ちが強かったので、お仕事がもらえるように交流会への参加など、主に人脈作りのための行動をしていかないとなあと思っていました。
が。その“人脈作りに対するモチベーション”が長くは続かず、次第にアルバイト、英語学習、個人チャンネル用の動画編集、高知への帰省、海外旅行の5つで構成される毎日を送るようになります。動画作り自体に対するモチベーションが衰えることはありませんでしたが、現在運営しているチャンネルKerry’s-ケリーズ-での仲間たちシリーズだけに注力するようになり、外からお仕事を頂くための活動をまったくしなくなってしまいました。そのまま現在に至ります。
同じ1年間を繰り返さないために
「映像クリエイターとしての仕事をもっと増やして、将来はそれだけで食べていけるようになりたい」と思っていたのにも関わらず、実現に繋がる努力を怠り現在のような状況に陥っている原因は、“アルバイトによる収入がある”という悪い意味での時間とお金の余裕と甘えだということに気がつきました。(アルバイトは接客業です。)
一日数時間のアルバイトで生活費が賄えるので、映像の仕事が無くてもとりあえず食べてはいける。いつかはバイトを辞めて映像の仕事に注力を〜と言いつつ、その“いつか”をどんどん先延ばしにしてしまっていました。「人間は楽な方に流れる」の典型です。
逆を言うと、一日たったの数時間のアルバイトで生活費が賄えるんだから、その他の時間を使ってもっと外に行動するべきだったんです。それをこの26歳の間は一度しかしなかったから(ジャックナイト2ndへの参加のみ)、今現在も人脈ゼロ、お仕事ゼロ。(現在、映像制作の案件を2本頂いているのですが、それは本当に棚からぼた餅といった感じで、自分で行動して得たお仕事ではありません。)
フリーだとモチベーションが続かないという理由もあり、どこかに所属してやらざるを得ない状況を作ろうと大阪の制作会社への就職を決意し、この記事を書きました。
しかしこの直後、このことをとある知人に報告すると「今のバイトもやりながらフリーで映像の仕事も取っていけばよくない?」と言われます。「確かにモチベーションさえ立て直して行動していけば、バイトしながらでも…」といとも簡単に決意が揺らぎましたが、友人の一喝により、それでは26歳とまったく同じ1年間を過ごしてしまうかもしれないということに気がつきました。一時期はそのモチベーションが続いたとしても、またアルバイトに甘えてしまって大した映像技術も実績も人脈もないまま27歳が終わる…ということになりかねません。実際そうだったんだし。
そうなるといよいよ本当に過去の自分に胸を張れなくなるので、今一度きちんと考え直し、自分に合った方法(一旦就職)でチャレンジしていくことを再び決意しました。
未来の自分に感謝されるように
24歳から25歳になったときに書いた記事を読み返した今日、今の自分は「やりたいことが見つかるというのはそれだけで無敵」「あとは行動するしかない」と意気込んでいたこのときの自分に胸を張れないなと思いました。相談に乗ってくれた友人にも「全部“やらない言い訳”に聞こえる。本当にやりたいことならやればいいし、結局は行動がすべて。実際行動してないから中途半端なまま」と一喝され、汗顔の至りです。
明日26歳から27歳になるけど、26歳の自分にはあまり感謝できません。2人組YouTuberの活動も、初めてのPV制作のお仕事も、仲間たちシリーズの動画づくりも、もちろん全部全力でがんばったけど、アルバイトに甘えなければ将来のためになることがもっとたくさんできたはず。全然納得のいかない歳だったので、これから1年間は自戒として定期的にこの記事を読み返そうと思います。
映像の仕事だけで生活できるくらいのお金を稼げるようになることと、「あなたに作ってもらいたい」と言われるようになること、そして高知の仲間たちをYouTubeで有名にすること。これらを将来の目標に掲げ、27歳は実現に向けて行動しまくる1年間にします。過去の自分に誇れるように、未来の自分に感謝されるように。
とはいえ、これらのことに最後の最後で気がついてくれたという点では26歳の私に感謝です。喝を入れてくれた大切な友人にも。
そして、いつも応援してくれている家族と私の一番の宝物である高知の仲間たち、この1年間もありがとう。
実現させたいから悩む時間も惜しんで行動する。ばっち来い27歳。
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