感情をコレクションするということ。

 

好奇心旺盛な私は、気が付くとたくさんの趣味を持っていた。

 

絵を書くこと、物を作ること、DJすること、アニメを見ること、本を読むこと、物語を書くこと、旅行すること。

その他少々かじったものまで挙げ始めたらキリがないのでやめておく。

これだけ趣味があれば、よっぽど無趣味な人以外とは、どれかのジャンルで話を合わすことができるというのが利点だった。

 

 

今より断然若かった十代の頃は、これら全部を極めたいと考えていた。

ハタチになり、とにかくひとつずつやっていこうと思った私は、DJの練習が家でもできるように初心者用の機材を購入。

結論から言うと、買っただけで満足してしまった。

形から入るタイプなので、何をするにもまず道具を揃える。

中学生のときに買ってもらったエレキギターは、ろくに練習もしないで、今では部屋のオブジェになってしまっている。

ギターもDJも、「練習しなければ!」と思えば思うほど、そちらへ一向に足が向かない。

もちろん「上手く」できるかできないかは音楽的センスにも関係してくるのだが、私に関してはそもそもそれまでが億劫で、「上手く」どころか「やる気」の問題の段階なのだ。

 

次は物語を書いてみた。

幼少時代から自分でお話を作るのが好きだった私は、数年前にも少し小説を書いていた。

将来自分の書いた物語で本を作れたらいいなあ、と漠然と思うようになったのはこの頃だ。

これは「やる気」があったから、そういう意味では順調だった。 

…だったのだが。

頭の中ではストーリーが出来ているのだが、どうしてもそれを上手く表現できない。

架空の物語を作るというのは集中力だけではなく想像力と、そしてそれを上手く文章に起こす力が必要になってくる。

途中までは書けるのだが、絶対に物語中のどこかで躓く。

これも「書かなければ!」と思えば思うほど億劫になってしまい、中断しては別の物語を書き、というのを繰り返した。

結局、最後まで書けた物語はまだ一つも無い。

 

とにかく私は「練習しなければ」と、自分を追い込んでしまう癖があるようで、追い込めば追い込むほど、思い通りにはならなかった。

 

趣味の断捨離

それでは「文章を書く」というのはどうだろう。

物語ではなく自分が感じたことを書く、というのは?

 

考えてみると、自分の感情を「書かなきゃ!」と思ったことは一度も無い。

「書かなきゃ!」と思うときはあるが、それは練習するためではなく、この感情を今残しておきたいという意味での「書かなきゃ!」である。

感じたことはすぐ文章にし書き溜めておいて、それをふとした瞬間に見返すという行為が癖付いたのは、もはや何年も前のことだった。

 

私は書くことで、自分の感情をコレクションしている。

 

物語と違ってストーリーを考える必要もないし、なにより自分の感情なので、詰まることなくスラスラ書けるというのもイイ。

書こうとしなくても書ける。

これは自分自身でも知らない間に身についていた、「スキル」なのかもしれない。

 

そうだ。これが一番楽しいのなら、これを極めることにしよう。

 

DJを辞めた。物を作るのを辞めた。物語を書くのを辞めた。

それと引き換えに、文章を書く時間がこれまでと比べ、明らかに増えた。

書く時間が楽しいし、自分で自分にプレッシャーをかける癖も出なくなったので不思議だ。

 

たくさんあった私の趣味は、ひとつずつ過去のものになっていったのだった。

この「ひとつ」を極めるために。 

 

この文章も、書こうとして書いているのではない。

パソコンを開いたのち、ふいにぼうっと思い浮かんだので書いてみたのだった。

 

私はこれからも自分の感情をコレクションするだろう。

それはまるで、終わりの無い旅をしているような感覚だった。

 

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